※この記事は、題の通り、自分を「アン●●クロペディア」っぽく書いてみました(笑)
しゅんY12とパークゴルフの歴史を「アン●●クロペディア」っぽく書いてみた
1999年8月29日日曜日、事件(?)は、突如として起こった。赤い帽子をかぶった某有名髭親父のゴルフゲーム64にそそのかされた当時9歳のしゅんY12(通称:第十二駿Y組)が、北海道空知管内長沼町の北長沼水郷公園パークゴルフ場を皮切りに、各地のパークゴルフ場を調査しコース写真を撮るという一連の事件が起こった。
そして2000年秋には、パークゴルフの聖域ともいえる十勝管内幕別町「つつじコース」にて、Aコース8番(45m)でホールインワンをする事件も起こり、しゅんY12は水面下で力をつけてきたのだ。
その後も各地のパークゴルフ場でコース撮影・調査が行われ、2000年代半ばはまだ、ブログなどの発信源などはまだなく、しゅんY12はまだまだ水面下でしか活躍できなかった。
そして、2010年代に入り、ブログが始まった…
そして、2010年代に入り、しゅんY12の部屋のブログが始まった。
しゅんY12の歴史はゴルフゲームの歴史でもあり、2008年に購入した某全員ゴルフ携帯弐号(通称:みんなのゴルフポータブル2)を皮切りに、様々なゴルフゲームを買うようになっていく。
2012年には、しゅんY12初となる夜行バスで釧路や根室といった道東エリアを攻めるようになる。
そして2013年には、パークゴルフのSNSなどを活用し、各地のパークゴルフ愛好家との交流を深め、しゅんY12はさらに力をつけていくようになる。某全員ゴルフ六号(通称:みんなのゴルフ6)でもデイリー全国大会で、日別で準優勝を果たすなど、この頃はゴルフゲームでもエリートクラスの座にも就いていた。
しかし、この活躍ゆえにネットの一部の悪意ある連中から変に注目を浴び「しゅんY12は悪質ユーザーと同一人物だ」というデマを垂れ流されるという事件が発生、「叩きと称するいじめ」をされるなど、でっち上げなどもされ、理不尽な精神的苦痛を与えらえるという事態に。
これがきっかけでフラッシュバックに苦しみ、2014年夏にしゅんY12は一カ月半の入院を強いられる事件が起きた。
退院後、しゅんY12の進化はさらなる飛躍へ…
2014年は上述の事件のショックで身体を動かすこともままならなかったが、2015年以降はしゅんY12は飛躍の年となっていく。
上述の事件の影響でしゅんY12はゴルフゲームで最強を目指すことはあきらめ、楽しむことを目標にする、という方針に変えた。
一方、パークゴルフ界では、実力もめきめきと上達し、石狩管内北広島市にある「輪厚国際パークゴルフコース」で36ホール103打をマークするなど、夢の「36ホール100打切り」が見えてきたのだ。
その後、JR宗谷線を駆け抜け、稚内にパークゴルフの調査も行った。これでしゅんY12は北海道内全てのエリア(振興局)に足を踏み入れた。さらにオホーツク方面や道南方面、十勝方面など、各地に調査をし、いわゆる「しゅんY12の足跡」は各所につくようになったのだ。
調査コース300、350、400コース達成!そして新たな出会いも…
一連のしゅんY12の各地の調査により、パークゴルフ場に付けた足跡は400を超えた。
時代は2020年、新型コロナウイルス問題の中、しゅんY12はSNSも多用してパークゴルフの布教に尽力するようになり、また、ゴルフ場設計(これはあくまでもゲームの中でだが)を趣味とするようになる。
そして、SNSを活かして新たなパークゴルフの絆を求めるべく、十勝管内に出向いた。
十勝で待ち構えていたのはパークゴルフチーム「相馬塾」の面々である。彼らに出会って早速、上士幌町航空公園パークゴルフ場にて交流を深めた。しかししゅんY12は上士幌町航空公園パークゴルフ場の難易度の高さに歯が立たなかった。
shunpago-shun-y-12.hatenablog.com
パークゴルフ某有力選手も「楽しくなきゃパークじゃない!」と語り、相馬塾の面々もこれを非常に大切にしている。しゅんY12も改めて知ったのだ。
そして同じくSNSで調査を応援してくださる人もおり、仲間の大切さを改めて知った。札幌市北区にあるパークゴルフショップ「A to Z(通称:エーゼット)」でパークゴルフの練習をしたり、新しいクラブを買い、いわゆる戦力増強を行った。
さらに、しゅんY12はこんな活動にまで打って出た。たまたま某電気店で見たパソコンソフト「AIトークボイス」を使用し、パークゴルフの聖域「つつじコース」を解説させたりもしたのだ。その動画がこれだ ↓ 。
如何であろうか…。
しゅんY12はパークゴルフ布教のため、様々な手を打っている。研究や机上論だけでなく、実際にパークゴルフを「楽しむ」ことにもようやく感じてきてきた。
そして、コロナ終局後、今後の戦略…
今は苦しいコロナ問題だが、これがそれなりに終局した後、道外やオホーツクなどにもパークゴルフに出かけたい。特にしゅんY12が目を付けているのが東北(とりわけ宮城県)だ。「月刊パークゴルフ新聞」でも取り上げられている通り、宮城県内はパークゴルフ場の公認コースが多い。
今最も、しゅんY12が、新たなるパークゴルフ場との出逢い、そして攻略という名の野望(笑)を抱いているのが、4コースとも500mで池まである「気仙沼市パークゴルフ場」。かのパークゴルフジャパンが気仙沼の地にコースを設計した、道路を挟めば海の「リンクス系」コース。
しゅんY12の今の実力が、気仙沼PGCにどこまで通用するのか、楽しみ。
アフターコロナに恐らくなってからだが、しゅんY12は各地にコース調査をする予定だ。
先週誕生日を迎えた、メガネをかけた31歳のおっさんになったばかりだが、しゅんY12はコロナにも負けない、パークゴルフ場の研究者となり、素晴らしい未来に貢献していきたい。